悶絶!ちょちょぎれ涙丸

七山さんのいろいろかきのこし

おなかがすいた

お腹が空いたんだが痩せたいこのジレンマ

 

まあそれは置いておいて

 

ドラクエ...も置いておいて

 

今日は病院にやって来た。

待ち時間が暇なのはいつものことだが、

本ひとつも持ち歩いていなかったので

暇が加速している。

 

なんかお腹も空いてきたし、痩せたいけど痩せたいけど。

 

そういや最近、崎山蒼志というアーティストが気になっている、というかもうこれはファンなのだろうな、彼のことを知ったのはたまたまYouTubeで見かけた、というやつだったが

なんか知らない間にApple Musicにあったので落としてみた。

まだ二曲しかないんだが、聞いているうちにスルメなことに気づいた。

聴けば聴くほど、味わいが出てくるのだ!

 

いあー、若いから、今後が楽しみな反面、変にスレたりしないで、この世界観を保って行ってほしいな...できることなら変わって欲しくない、とさえ思う。

 

それにしてもお腹すいたなあ...........

 

 

まだ書き足りないからね

昨晩ね、旧知のネッ友と2時間19分、Skypeをつないで会話してたんだよ、

最近そいつは付き合いが非常に昔よりは悪くなってたんだけど、なんだかここ数日は付き合いが良くなって、とはいえ夕勤の人だから少し遅い時間(午前様なのは確実)から開始なんだ、だから昨晩は0:00からSkype集まるやつらがいなくて、私とヤツのさしだった。

久々に二人きりで話したけれど、

あいつが言うには、人生がつまんないそうだ。

 

いや、人生がつまんないなんて、語弊がありすぎるんだろうけどヤツにとっては。

 

彼は、仮に栄吉としよう、栄吉は某大手コンビニエンスのアルバイト実家住まいの田舎もんだ(これ見られたら怒られるかもw)。

しかも話を聞いていると蓄えがかなりいつもなく、収入もほとんどゲームに使い込んでしまうらしい。

「俺が毎日同じような繰り返しの日々をただダラダラ暮らして生きているのが、なんだか申し訳なくもあり、早く終わらせたいや」

そんなぼやきに冗談で返せば、不服そうに唸るんだから、微妙なお年頃かなあと思いながら、

私もきっとそういう毎日に焦りや不満や覆す気力もなくて、足掻いているんだと同感してしまう。

 

なにかが、足りないんだよね、そんな何気ない不足分が、どうしても補なくて、でも生きていく選択しかできないから、なんとなく来てみたけど、ねえ栄吉、私は30年間生きてきて、君よりも楽しそうな経験をしてこなかったし、

君よりも色んなものを持って居ないよ。

だけどそんなことは言えないから、

冗談と月並みな慰めで終えた会話は2時間19分だった。

 

人生はもっと長くて、もっと豊富な実りがあるもので、意味が誰にも必ずあって、理由も理屈もしっかり通って納得いくものだと、幼い頃は思い込んで居た。

だから生きる意味や目標を探したり考えたり悩んだりエネルギーを使ってまで、毎日毎日死ぬほどに自分を見つめていられたけれど、

歳をとるにつれて、年数を重ねて生きていくにつれて、私は生きることに意味があるのかわからなくなったし、続いていく今日と明日の境目もあんまり目を凝らして見るのも疲れて来た。

 

結局は、生きる理由があっても、納得がいくなんて決まってない。

実り豊かだと思って居た人生は、人と人のしがらみの中で絡め取られながらエネルギーを消耗してまでも、どうにかやっていくしかない生き方を強いられるだけのもの。

お金を稼いで生活をしてルーチンワークな毎日を送っていく。

 

何の意味があってなんの理由でなんの対価があるから生きているんだとか、たぶんない。

 

どうせこのまま数十年後は死んでいく。

棺に入れられて冷たくなって焼かれて骨になる。

 

たった80年そこそこのもの。

 

でもさ、栄吉、私はそれでもやっぱり

生きることが毎日が同じなんだからどうだっていいんだ、なんて言っている君が哀しいから

 

少しくらい嘘をつけばよかったかな、

少しくらい希望的な嘘を。

 

人生はまだいつだって途中だから

今が一番スタートラインだから

身の丈に合うものがどんなに貧相でもさ

私たちは家畜じゃないし

なんだって出来るんだよ。

 

 

なんだっけこのブログ

久しぶりすぎに開いたけど、ドラクエのレポートって書いてあるわりに、ひとつもそんな記事が見当たらないじゃないかw

 

なんだろ、結局は長文をダラダラ書きたいまま生きていて、結局どこかの誰かに向けて、

たぶんそれは自分なのかもしれないが、

文章を自己満足さながら書いている。

 

で、ちょうどよかった場所も捨ててしまった私にとって、どこのブログでもどこのsnsでもいいからなんか書きたかったんだ。

 

ということでちょちょきれ涙丸再開である。

しかしドラクエレポートはいつやるのか定かではない。...。

 

今日ひさしぶりに朝、と呼べる時間帯に起床した。そして早々にシリアルとチョコレイト2かけを口にして朝食とし、洗濯機を回して数十分間ぼけっとしてたら眠くなり、丸くなっていた猫をいじりながら横たわり、洗濯完了してベランダに出ると、暑いこと・暑いこと。

干し終わり、なんだか無性にやる気が起きず、旦那は寝ているので、起こすのは我が家では結構暗黙のタブーで、カフェに来てアイスコーヒーを飲みながら、サンダルがだっせえなーと自分の剥がれたペディキュアが目立つ足元をぼけっと見ていたりする。

 

ここ最近頑張ろうと思ってたことがたくさんあったんだけど、ここ3日くらいは頑張れてなくて、LINEで旦那に愚痴を吐きながら、なんだか無性に泣きそうになって、好きが薄れるのは当たり前のことだけど、とか書きながら、

好きが薄れてるんだろうか、と疑問に思いながら、タバコをふかして頑張る理由がもっとポジティブで幸せならどんなにいいだろう、とか思ったり。

 

結婚したら、いろんなものを犠牲にするなんて言う人がいるけれど、私の旦那は一人しかいないし、私の結婚生活はひとつしか今のところないわけで、他の人が結婚のために何かを辞めたり捨てたり失ったりするのなんか結構どうでもよかったりして、でも私だって一人の自由は結構削がれていて、それがじゃあ犠牲に当てはまるんだとしたら、私は結婚しなければよかったんじゃないか? とかぐるぐるぐるぐる贅沢病。

 

もしもじゃあ離婚して、一人の自由をまた手に入れたとするじゃない、いろんな犠牲に思ってたものが手に入る、戻るわけだよ、でもだけどその代わりに旦那の姿は一切合切人生から居なくなるとするじゃない、それって犠牲に当てはまらないのだろうか。

 

おととい、たまらなくなって「秋になったら別で寝よう」と提案したら、旦那は布団をその日のうちにもって隣の別部屋に行ったわけ。

私、寂しく思うのかと思えば違ったんだよね、いつもより早くにぐっすり眠れて。

 

結局、一人のほうが楽なのは確かなんだよね、

一人のほうが自由なんだよね、

でもじゃあさっさと服捨てるみたいには行かないよね、旦那のことがちゃんと好きなんだと思う、結局のところ結婚して後悔したことなんて山ほどあっても、破棄はできないくらいには旦那の価値や大きさは私の中で一等でかいんだろう、仕方ない、だから仕方ない、まあいっかって流しながら、生きて行くとしようか。

今年(2017)は、よくないことでも「ごめん」で済ますのはやめようと思った。

 

ひとつひとつ、やっていくためには

自分の過ちもひとつひとつ

受け入れるしかないじゃないか。

 

覆水盆に返らず。

 

吐いた言葉は体内にもどらないから。

 

 

もう辞めたバイトの人が言ってた何気ない一言。

 

「今日はバタバタします。だからこそ、ひとつひとつ、片付けていってください」

 

そして店長が言ってた通り

「雑の概念っていうのはね、粗の数が重なったものなんだよ」

なのだ。

 

毎日を丁寧に生きる。ひとつひとつ丁寧に。

粗雑な私のままではいてはいけないのだよな。

わかってたのにやってしまう。

これももう終わりたい。

ひとつひとつ丁寧にあと1年ちゃんとやってみたい。

 

そんな感じの年始です。

あけおめ。

死について

何度か死のうと思ったことがある

 

どんな時も自分のために死ぬつもりはなかった

 

誰かのためだとさえ思っていた。

 

どうしてそう思ったのかわかんないけどね

 

うざいの一言で片付けるひともたくさんいるし

私がその立場だったらさっさと死ねと思うだろう

 

ただ救いなのは私が口に出したことが

ほぼないことだ

 

死にたい。

 

いかにもこのご時世たくさんいる

メンヘラってやつが言いそうな言葉だよな

 

私は言ったことがない。

そりゃ酒に酔って言ってたかもしれないが。

 

自分に酔って死にたいって言えるやつは幸せだ

 

本気で死にたくて死にたいって言えるやつは

少し不幸だ

 

本気で死にたくて本当に口に出して

そして死んだやつは不幸だ

 

なによりそのケースは聞いた言葉の先の

相手がいる分不幸だ

 

言わないまま死んだやつは孤独だったのか

 

私は死にたくても生きているし

生きることを選んできたし今も選んでいる

 

言わない。ってことが

処世術につながるほどでかいなら

言わないことを今後もしていこう

 

過去、私は

ひきこもって脱出したらしたでメンヘラなって

 

だからなんだ今のお前はどうなんだ

 

この言葉をいう相手ばかり見てきた

 

 

そうだよ。私は恵まれてたし恵まれてる

 

だからなんだ死んだほうがましだ

と思うほどこの世界が居心地悪いわけじゃ

もうない

 

今のお前はどうなんだ

 

私もそう言える健常者のフリを貫いてみようか

 

精神病にふりまわされてる誰かさんは

私の過去じゃないし。

外食は空気ごと味わう

私は外食がすきだ。

何故かといえば、美味しいから、楽チンだから、お洒落できる場面だから、そして出会いがあるから、だ。

 

何と出会うのかというと「人」でも「異性」でもない。「空気」だ。

 

そのお店がまえを鼻で嗅ぐように「旨そう」かどうかをまず判断する。

妙に小洒落た店構えは苦手だ。

少し古びた看板が、趣きのある匂いをさせたら、きっとその扉の先には出会いがあると信じ、足を踏み入れる。

寒さに手を擦り合わせ、未知の味へ舌舐めずりをしながら、扉をこじ開ける。

旨い店はたいてい、木の軋む音がするものだ。

その向こう側にまず何が見えるだろうか。

しっとりとしたJAZZに混ざり合う「いらっしゃい」がちょうど心地よければ、最高。

先客の新聞をめくる小さな紙音のとなりを通り、カバンを降ろしてコートを脱ぐ。少し熱の高い炎の匂いと温もり。おしぼりからの湯気。

ウエイトレスが持ってくるメニューとジャスミンティー。メニューが手書きの場合は旨い率高し!

空間にどれだけ多く、店主の気持ちが込められていて、見渡せばワクワクするような溢れかえる花や人形があるか。それから間接照明の数、色味、先客の話し声のトーン、すべてひっくるめて、出会う。

そんな美味しい空気の中で出てくる料理を、ただのナポリタンでは終われない私がいる。

「どこそこのナポリタンはおいしい」

こんな風に人にオススメするには惜しいくらいだ。

空気に出会い、その瞬間だけの料理を口にする。

それが、私にとっての外食である。