外食は空気ごと味わう
私は外食がすきだ。
何故かといえば、美味しいから、楽チンだから、お洒落できる場面だから、そして出会いがあるから、だ。
何と出会うのかというと「人」でも「異性」でもない。「空気」だ。
そのお店がまえを鼻で嗅ぐように「旨そう」かどうかをまず判断する。
妙に小洒落た店構えは苦手だ。
少し古びた看板が、趣きのある匂いをさせたら、きっとその扉の先には出会いがあると信じ、足を踏み入れる。
寒さに手を擦り合わせ、未知の味へ舌舐めずりをしながら、扉をこじ開ける。
旨い店はたいてい、木の軋む音がするものだ。
その向こう側にまず何が見えるだろうか。
しっとりとしたJAZZに混ざり合う「いらっしゃい」がちょうど心地よければ、最高。
先客の新聞をめくる小さな紙音のとなりを通り、カバンを降ろしてコートを脱ぐ。少し熱の高い炎の匂いと温もり。おしぼりからの湯気。
ウエイトレスが持ってくるメニューとジャスミンティー。メニューが手書きの場合は旨い率高し!
空間にどれだけ多く、店主の気持ちが込められていて、見渡せばワクワクするような溢れかえる花や人形があるか。それから間接照明の数、色味、先客の話し声のトーン、すべてひっくるめて、出会う。
そんな美味しい空気の中で出てくる料理を、ただのナポリタンでは終われない私がいる。
「どこそこのナポリタンはおいしい」
こんな風に人にオススメするには惜しいくらいだ。
空気に出会い、その瞬間だけの料理を口にする。
それが、私にとっての外食である。