まだ書き足りないからね
昨晩ね、旧知のネッ友と2時間19分、Skypeをつないで会話してたんだよ、
最近そいつは付き合いが非常に昔よりは悪くなってたんだけど、なんだかここ数日は付き合いが良くなって、とはいえ夕勤の人だから少し遅い時間(午前様なのは確実)から開始なんだ、だから昨晩は0:00からSkype集まるやつらがいなくて、私とヤツのさしだった。
久々に二人きりで話したけれど、
あいつが言うには、人生がつまんないそうだ。
いや、人生がつまんないなんて、語弊がありすぎるんだろうけどヤツにとっては。
彼は、仮に栄吉としよう、栄吉は某大手コンビニエンスのアルバイト実家住まいの田舎もんだ(これ見られたら怒られるかもw)。
しかも話を聞いていると蓄えがかなりいつもなく、収入もほとんどゲームに使い込んでしまうらしい。
「俺が毎日同じような繰り返しの日々をただダラダラ暮らして生きているのが、なんだか申し訳なくもあり、早く終わらせたいや」
そんなぼやきに冗談で返せば、不服そうに唸るんだから、微妙なお年頃かなあと思いながら、
私もきっとそういう毎日に焦りや不満や覆す気力もなくて、足掻いているんだと同感してしまう。
なにかが、足りないんだよね、そんな何気ない不足分が、どうしても補なくて、でも生きていく選択しかできないから、なんとなく来てみたけど、ねえ栄吉、私は30年間生きてきて、君よりも楽しそうな経験をしてこなかったし、
君よりも色んなものを持って居ないよ。
だけどそんなことは言えないから、
冗談と月並みな慰めで終えた会話は2時間19分だった。
人生はもっと長くて、もっと豊富な実りがあるもので、意味が誰にも必ずあって、理由も理屈もしっかり通って納得いくものだと、幼い頃は思い込んで居た。
だから生きる意味や目標を探したり考えたり悩んだりエネルギーを使ってまで、毎日毎日死ぬほどに自分を見つめていられたけれど、
歳をとるにつれて、年数を重ねて生きていくにつれて、私は生きることに意味があるのかわからなくなったし、続いていく今日と明日の境目もあんまり目を凝らして見るのも疲れて来た。
結局は、生きる理由があっても、納得がいくなんて決まってない。
実り豊かだと思って居た人生は、人と人のしがらみの中で絡め取られながらエネルギーを消耗してまでも、どうにかやっていくしかない生き方を強いられるだけのもの。
お金を稼いで生活をしてルーチンワークな毎日を送っていく。
何の意味があってなんの理由でなんの対価があるから生きているんだとか、たぶんない。
どうせこのまま数十年後は死んでいく。
棺に入れられて冷たくなって焼かれて骨になる。
たった80年そこそこのもの。
でもさ、栄吉、私はそれでもやっぱり
生きることが毎日が同じなんだからどうだっていいんだ、なんて言っている君が哀しいから
少しくらい嘘をつけばよかったかな、
少しくらい希望的な嘘を。
人生はまだいつだって途中だから
今が一番スタートラインだから
身の丈に合うものがどんなに貧相でもさ
私たちは家畜じゃないし
なんだって出来るんだよ。